ドラマ『しあわせな結婚』ネタバレ考察。主人公・幸太郎は本当に幸せになれたのか?

新作ドラマの発表に触れて、「これは絶対に見なければならない」と感じる作品はほとんどない。
しかし『しあわせな結婚』は違った。発表当初から「絶対見なければならない」と思い、第1話を視聴した。
「ねばならない」という義務感は、やがて「早く次が見たい」という願望に変わった。大河ドラマ『光る君へ』などを手がけてきた脚本家・大石静が紡ぎ出すストーリーと、黄金コンビである阿部サダヲと松たか子のお芝居に、いつの間にか魅了されていたのだ。
それと同時に、「幸せな結婚とはなにか?」を常に考えさせられる内容でもあった。そこで、今回は『しあわせな結婚』のあらすじを振り返りながら、「幸せな結婚」とはなにか考えてみたい。
夫婦の愛を問う。令和の「マリッジサスペンス」のあらすじ
「マリッジサスペンス」という、これまであまり類を見ないジャンルに位置付けられた『しあわせな結婚』。まずはそのストーリーを追ってみよう。
孤独なスター弁護士と謎めいた美術教師の「電撃婚」
物語は、原田幸太郎(阿部サダヲ)という人物の二面性を、鮮やかに描き出すところから始まる。
彼は元検事にして弁護士資格を持つスーパーエリート。検事時代の輝かしい実績と、弁護士になってからの活躍で、世間の脚光を浴び続けていた。また、情報番組のコメンテーターとしても活躍し、その姿は単なる弁護士の域にとどまらない。
そんな幸太郎は、もちろん女性にもモテる。元カノはもちろん、敏腕女性プロデューサーからも言い寄られ、女性には全く困らない。公私とも華やかな50歳だ。
しかし、そんなパブリックイメージとは裏腹に、私生活では50年間独身主義を貫く「孤高の男」であった。数々の離婚の相談を受けてきたのもあるのか、結婚には見向きもしない。それは、死ぬまで貫く幸太郎のスタンス、のはずだった。
そんな日常が崩れたのは、突然のことだった。幸太郎はテレビ番組の生放送中に倒れ、病院に救急搬送される。ICUで生死の境をさまよった彼は、自分の代わりに手術の同意書にサインをしてくれたり、見舞いに来たりする家族もいない自らの境遇に、初めて猛烈な孤独と死への恐怖を覚えた。
この経験が、彼の人生観を根底から揺るがすきっかけとなる。
一般病棟に移った日、幸太郎はエレベーターの中で1人の女性と運命の出会いを果たす。それが、鈴木ネルラ(松たか子)だ。感情の読めないミステリアスな美術教師である彼女は、幸太郎に声をかけられると、持っていた紙袋を唐突に手渡し、足早に去っていった――。
この不可解な出会いは、幸太郎の心に強烈な印象を残した。ネルラがエレベーターを降りて別れてからも、幸太郎は病室に戻り、病院を去るネルラを目で追い続けた。
「もう1度、会えますように」
幸太郎は紙袋に入っていたネルラの連絡先に、何度も連絡を送り、自らの存在を印象付けようとした。
そして退院の日、病院の玄関で彼を待っていたのは、またしてもネルラだった。彼女は幸太郎に、こう問いかける。
「うち、行きませんか?」
この一言が、2人の運命を決定づけた。幸太郎は孤独への恐怖から逃れるように、ネルラは何か目的を秘めているかのように、2人は電撃的に結婚する。これから2人の幸せな結婚生活が始まる、はずだった。
幸太郎が足を踏み入れたのは、ネルラの父・寛(段田安則)、弟・レオ(板垣李光人)、叔父・考(岡部たかし)が同じマンションの各階に住むという、極めて結束の固い「鈴木家」という城塞だった。週に一度は家族そろっての夕食会が開かれ、元来「ひとり好き」の幸太郎は、その濃密な家族関係に戸惑いながらも、少しずつその一員となっていく。
しかし、幸太郎はどうしても違和感を拭い去ることができなかった。この家族、なにか隠しているのではないかと。
15年前の亡霊と刑事・黒川の執念
幸太郎とネルラの穏やかな新婚生活は、1人の男の出現によって唐突に終わりを告げる。刑事・黒川竜司(杉野遥亮)が幸太郎の前に現れ、衝撃の事実を突きつける。
それは、15年前にネルラの元恋人であった画家・布勢夕人(玉置玲央)が死亡した事件の再捜査が開始されたということだった。
当時、布勢はアトリエの階段から転落死し、頭部に不審な傷はあったものの、事故として処理されていた。しかし、黒川は第一発見者であったネルラが犯人であると確信し、執念で再捜査にこぎつけたのである。
この一報は、幸太郎を葛藤へと突き落とす。愛する妻を守りたいと願う「夫」としての自分と、真実を追求せずにはいられない「元検事」としての自分が、彼の中で激しく衝突する。妻を信じたい、しかし目の前に提示された事実はあまりにも重い。
彼は、妻を守ることと真実を明らかにすることの間で、苦悩の日々を送ることになる。
一方、黒川の捜査への執着は、単なる刑事としての職務遂行を超え、狂気めいたものを感じるほどだった。15年前、交番勤務の新米警官だった彼は、事件現場に最初に駆けつけ、そこで茫然とたたずむネルラの姿を目撃していた。そのときの光景が彼の脳裏に焼き付き、彼女への疑念と、ある種のゆがんだ恋慕にも似た感情を、15年間抱き続けてきたのである。
犯人は誰だ? 揺れ動く、登場人物たちの心情
黒川による再捜査の開始は、鈴木家が15年間守り続けてきた静寂を打ち破り、隠されたパンドラの箱に手をかけることとなった。そして、その真相へと至る道筋は、幾重にも張り巡らされたうそと、断片的な記憶によって、迷宮のように入り組んでいた。
当初、ネルラは事件当時の記憶を失っていると主張する。しかし、ウエディングフォトの撮影中にカメラのフラッシュを浴びたことで記憶の一部がよみがえり、倒れてしまう。彼女が思い出したのは、血を流して倒れる布勢の向こうを「誰かが歩いていた」「多分男の足」という断片的な光景だった。
これにより、事件に第三者が介在した可能性が浮上する。
疑惑の目は、まずネルラの父・寛に向けられる。ネルラ自身も父を疑い、「15年前、布勢夕人を殺したのは、お父さん?」と直接問い詰めるまでに至る。しかし、寛は犯行を否定。実際にアリバイもあった。
その矢先に、ストーリーは大展開をする。なんと、家族を守ることに人一倍献身的な叔父の考が、自らが犯人であると警察に出頭したのだ。彼は、ネルラに暴力を振るう布勢を止めようとして、無我夢中で殴り殺してしまったと供述。これで、再捜査は終了したと、思われた。
考が逮捕されたのを機に、幸太郎に舞い込んでいた依頼はことごとくキャンセルされた。またレギュラー番組も一時降板に。その結果、幸太郎は図らずもネルラと夫婦水入らずのひと時を過ごす。新婚旅行で訪れた日光での2人の姿は、まさに夫婦そのものだった。きっと、幸太郎は思ったことだろう。
ようやく、平穏な日々が訪れた、と……。
鈴木家が守り続けた「家族の真実」
しかし、現実は思うようにならなかった。考の供述と、現場の遺留品であった絵画を照らし合わせて、黒川は真犯人が別にいるのではないかと考えるようになる。
それと時を同じくして、鈴木家のマンションのレオの部屋でぼやが発生。そのタイミングで、ネルラの事件当時の記憶が再び蘇る。
「やっぱり、私が布施を殺したのかもしれない。叔父は私をかばっているんだと思う」
不安がるネルラを見て、幸太郎はついに決断する。
自らの力で、真実を明らかにする、と。
もしネルラが犯人だったら。そんな現実は見たくない。
しかし、このままでは真実が闇に葬られてしまう。
幸太郎は元検事としての鋭い洞察力で、考の供述に潜む不自然さを見抜く。彼は旧知の法医学者・児玉祐作(佐々木蔵之介)の協力を得て、布勢の頭部に残された2つの傷が、異なる角度から加えられたものであることを突き止める。そして、凶器となった燭台の形状から、ついに事件の真相にたどり着く。
明かされた真実は、あまりにも悲痛なものだった。15年前のあの日、アトリエで布勢はネルラに襲いかかり、首を絞めていた。その光景を目撃した当時11歳の弟・レオが、姉を救う一心でそばにあった燭台を手に取り、布勢の後頭部を殴打し、それが致命傷となったのだ。
その後、レオからの連絡で駆けつけた考は、甥の罪を隠蔽するために、自らも燭台で布勢の頭部を殴り、傷の状況を複雑化させたうえで、遺体を階段の下へ運び、転落事故に見せかけて偽装工作を行ったのである。
鈴木家が15年間守ってきた秘密の核心は、悪意による犯罪ではなく、幼い少年が姉を守るために犯してしまった悲劇的な過ちだった。彼らはその事実を誰にも語ることなく、心の奥底に封印し、作中で度々登場する「見ざる、言わざる、聞かざる」ということわざを地で行くような日々を過ごしてきた。考の偽りの自白は、そのゆがんだ家族愛の究極的な発露であった。
彼らにとっての「真実」とは、法的な事実ではなく、レオという存在を守り抜くために構築された、必要不可欠な虚構だったのである。それは、耐え難いトラウマを乗り越えるために築かれた、家族だけの心理的な城塞だった。
「私たちは出会ってはならなかった」。法と愛の狭間で起きた悲劇
事件の真相を突き止めた幸太郎は、義理の弟となったレオと対峙する。しかし、その姿はもはや家族の一員ではなく、証拠を突きつけ、冷静に事実を再構築していく冷徹な検事のように見えた。
15年間、重い罪の意識を背負い続けてきたレオは、幸太郎の言葉に観念し、自らの行いを告白する。そして、幸太郎に付き添われ、警察に出頭することを決意する。その表情には、安堵の色さえ浮かんでいた。
幸太郎は、法的な真実を明らかにすることが、レオを罪悪感から解放し、家族が本当の意味で再生するための唯一の道だと信じていたのだろう。しかし、彼が家に戻り、ネルラに事の経緯を説明したとき、待っていたのは感謝や安堵ではなかった。
ネルラの目に宿っていたのは、氷のように冷たい怒りだった。彼女は幸太郎に、激情をたたきつける。
「レオを守り通すことがうちの家族の真実だったの!」
「あなたと出会って、すべてが壊れた。わたしたちは出会ってはならなかったのよ」
ネルラにとって幸太郎は、真実を暴いた救世主ではなく、家族が15年かけて築き上げてきた、あまりにももろすぎる平和を破壊した侵略者でしかなかった。
さらに、ネルラは幸太郎に離婚を突きつける。ドラマのタイトルである『しあわせな結婚』は、この瞬間、最も痛烈な皮肉となって響き渡った。
事件はまだ、終わっていなかった
最終回である第9話の冒頭は、鈴木家と幸太郎の現状が明かされる。考は裁判中(最終的には執行猶予の有罪判決が下された)、レオは顔がさらされたためアイドルグループのスタイリストを辞め、フードデリバリーのアルバイトをしていた。
一方、幸太郎と離婚したネルラは、美術館の絵画の修復の仕事を始めていた。殺人の事実を15年隠し続けてきた家族の一員である自分に、なぜ仕事が回ってきたのか不可解な思いを抱きつつ、「ある計画」の実行に向けて動き始めていた。
ある日、幸太郎のもとに寛から電話が入った。
「ネルラが2日間、家に帰ってこない」
心配になった幸太郎は、すぐに鈴木家のマンションに駆けつける。そこには、寛だけでなく、考やレオも姿も……。ネルラの足取りをつかめる、なにか手がかりはないか。幸太郎はかつて自分が過ごしていた2階の部屋でネルラのパソコンを発見する。
そして、そこには本文が消された幸太郎宛のメールの下書きが。手がかりがつかめるかもしれないと、幸太郎は黒川にゴリ押しして、メールの復元を依頼する。
復元されたメールには、自分に仕事をあてがってくれたお礼と共に、今まで明かされなかった秘密が記されていた。なんと、布施の絵画を自分が描いていたというのだ。しかも、その作品が布施オリジナルの絵画より高く評価されたという。
しかし、ほんの遊び心で始めたことが、やがて布施を狂わせていく。やがて、布施は筆をとれなくなり、ネルラとも口論が絶えなくなる。そして、あの事件に至る。
事件の真実が明かされてから、くしくも布施は夭折の画家として再評価され、その絵画がオークションで高値で取引されるようになっていた。
そこで、幸太郎はハッと気づく。
ネルラがいる場所は、あそこだ。
ちょうどその頃、ネルラはオークション会場のスタッフとして、翌日の準備に奔走していた。準備が終わり、ネルラは1人階段を降りて、オークションに出品するネルラが描いた布施の絵画が保管されている倉庫に向かう。右手には、かつて幸太郎の髪を切ったハサミ。そう、この絵画を切り刻み、全てを終わらそうと考えていたのだ。
しかし、そうはさせないと、倉庫の裏に幸太郎が潜んでいた。絵画の横まで歩みを進めて、ネルラを説得する幸太郎。ネルラは表情を全く変えず、右手にハサミを持ったままだった。
ネルラは幸太郎の説得を受け入れるのか、それともそのハサミで殺そうとするのか。最終回の最終盤、もっともスリリングなシーンが訪れる。
果たして、2人の「しあわせな結婚」はどのような結末を迎えるのだろうか。
【ネタバレあり】考察:幸太郎は本当に幸せなのか?
これまでになかった、趣向を凝らした「マリッジサスペンス」。ドラマは全体的にサスペンス要素が多かった印象だ。
また、その結末については、賛否が分かれるだろう。エンターテインメントとしては、あっと驚くような終わり方ではなかった。作中でちりばめられた伏線(っぽいもの)が回収されず、モヤモヤが残る視聴者もいるだろう。特に、幸太郎とネルラの不自然な出会い方は、偶然だったのか、計画されたものだったのか、判然としないままだ。
一方で、テーマとして掲げられた「妻の秘密を知っても、妻を愛し続けることができるのか?」という問いには、明確な答えが示された。そこで、ここからは筆者なりに「幸太郎は、本当に幸せなのか」について考察したい。
「孤独」を自覚するのは難しい
突然だが、孤独と聞くと、どんなイメージを持つだろうか。
1人寂しく六畳一間の部屋で体育座りをしてうなだれ、夜には缶チューハイをこれまた1人であおる。
こんなイメージを抱く読者が大半かもしれない。
しかし、孤独はそうわかりやすいものではない。一見華やかそうに見えて、公私共に充実している人間ほど、実は深い孤独に陥っていることもある。
ドラマの第1話の序盤で明かされる、幸太郎の華やかな姿は、筆者からすると孤独をより一層際立たせる演出のように見えた。よく考えてみてほしい。あのとき、幸太郎と関わる人間の中で、彼のことを本当に案じてくれる人がどれだけいるだろうか、と。
その現実は、視聴者もすぐに目の当たりにすることとなる。本当にピンチのとき、寄り添ってくれる人が誰もいないのだ。
こんな現実、特に若かりし頃は、全く考えもしない。筆者もその1人だ。天涯孤独であることは想像しても、「孤独」について思いを巡らせることはない。なんとも奇妙な感じだが、少なくとも30代はそうして過ごしてきた。
幸太郎のような華やかな世界とは無縁だが、充実して後悔のない人生を送ってきた自負はある。しかし、これが将来落とし穴になりかねないのだ。不幸も感じないし、不便も感じない。だからこそ、余計に厄介だ。
「孤独」を埋める方法はあるのか?
孤独を埋める方法として、幸太郎は運命に導かれるままにネルラとの結婚を選んだ。テクノロジーが進化して、昭和・平成と比べて日本でも価値観が多様化している現代において、あまりにも安直なように感じるかもしれない。
しかし、ここから筆者のポジショントークも含まれてしまい恐縮だが、現代において孤独を埋める手段として「結婚」以外に何があるだろうか。
日本において、婚姻届を提出したカップルは正式に夫婦として認められる。扶養・養育などの「義務」は負うが、その代わりに「権利」も有する。例えば、夫が倒れたときは、妻が手術の同意書に署名できる(ドラマでは、幸太郎が死の狭間で苦しみもだえている中、自らサインするしかなかった)。
これはあくまでほんの一例だが、「結婚」した夫婦だからこそ認められ、できることが確実にある。一方で、その裏返しとして、夫婦でなければできないことがあることを認識したとき、人は「孤独」をより一層感じるのかもしれない。
またナレソメノートでは、先日以下の記事を配信し、同カテゴリーの記事の中では圧倒的なアクセスを集めた。
「孤独」に対する漠然とした不安。「結婚」に対する期待。いろんな感情を抱きながら、読んでくださったのだろう。中には、幸太郎のような運命の出会いからの結婚を夢見ている方も読んでくださったかもしれない。
「結婚」と「孤独」。この表裏一体の関係は、口に出さずとも、多くの人が無自覚に理解しているのではないだろうか。
人生をメチャクチャにされても、幸太郎は本当に幸せなのか?
結婚した幸太郎のいきさつは、あらすじでもお伝えしたとおり、決して順風満帆ではなかった。いや、むしろ人生を壊されたと言ってもいいだろう。
レギュラー番組を実質降板させられ、鈴木家の事件をきっかけに仕事も激減した。ネルラに対しては気丈に振る舞ったものの、法律事務所のトップとして胃が痛くなるような日々を過ごしたことだろう。
人生をメチャクチャにされた。そう表現しても過言ではない。
それでもなお、幸太郎は幸せなのだろうか。結婚していなければ、起きなかったであろう災難が降りかかっても「幸せだ」と言えるのか。
それを考えるうえで、ここではある研究結果を引用したい。
それは、ハーバード大学が80年以上に渡り追跡調査を行ってまとめた「成人発達研究」の結果である。この途方もない研究が行き着いた結論は、実にシンプルなものだった。
健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要だ。以上。
(引用元:グッドライフ(辰巳出版))
富や名声ではない。幸せのために必要なのは「よい人間関係」だけ。現代を忙しく生きる私たちには、受け入れ難い結果かもしれない。
しかし、これが真実だとすれば、ネルラと「よい人間関係」が築けていると認識している幸太郎は、間違いなく幸せだ。富や名声を失っても、右手に持ったハサミで殺されるかもしれないと思っても、ネルラとの「よい人間関係」は絶対に手放したくない。
『しあわせな結婚』は、ある50歳の独身男性が、幸せになるために本当に大事なものに気づく、そんな物語なのかもしれない。
幸せはいつも自分の心が決める
『しあわせな結婚』は、当初の期待どおり、いやそれ以上の作品だっただろう。それは、アニメがストリーミングサービスのTOP10を席巻し続ける中、最新話が毎回ランクインして、支持を得ていることからもうかがえる。阿部サダヲと松たか子の黄金コンビ、脇を固める俳優陣、そして視聴者にスリリングな体験を提供し続けたスタッフ、どれをとっても非の打ち所がない。ストーリーに関しては、若干のモヤモヤが残るものの、視聴してしばらくたつと全く気にならない。
そして、なにより幸太郎が幸せになれたのが、一男性としてうれしかった。
無事に「幸せな結婚」ができて、よかったですね。
「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉がある。これを聞いたとき、なんとも無責任な言葉だと思ったが、言い得て妙なのだろう。実際に、最終話のエンディングで、ネルラと同じような寝相をしている幸太郎は、心の底から幸せそうな寝顔をしているように見えた。
最後に少しだけ宣伝を。
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「幸せな結婚」をしたい方には、ぜひ1度受けていただきたい。
編集:yuzuka、執筆:タナカ