【ネタバレ】「タコピーの原罪」のあらすじ考察。毒親持ちの作家が思う、アニメ版最終回から見える、タコピーの伝えたかったこと

とんでもないアニメを見てしまった。
「大人なドラえもん」と紹介してきたアイツを殴りたい。

タコピーの原罪

ポップな絵柄と主題歌とは似つかない、私のほの暗い過去の記憶をそのまま映像化したような今世紀最大のグロアニメ。
だが、その「グロテスクさ」に救いを感じた。そんな話を、考察とともに書き連ねていく。
まだ見ていない方は、ぜひ見てから読んでほしい……と言いたいところだが、

このアニメは

  • 毒親持ち
  • 虐待・ネグレクト経験者
  • いじめ経験者

には、キツい。
あまりにもリアルで、フラッシュバックが起こる人さえ出ている。

「誰でも安易にすすめられるアニメ」ではないのは確かだから、もし上に挙げた経験の持ち主は、私と同じく自分の体験が完全に過去になってからご覧いただくことをすすめる。

【ネタバレあり】「タコピーの原罪」のあらすじを解説

まずは『タコピーの原罪』のあらすじを、何が「グロいのか」という視点でネタバレ解説していく。
このアニメの「グロテスクさ」が、ここで伝わるはずだ。

タコピーの残酷な「優しさ」がゆがみを強めていくのがグロい

『タコピーの原罪』は、“ハッピー”を広めるために地球へやってきたタコ型の宇宙人・タコピーと、学校や家庭に問題を抱える少女・しずかの交流を描いた物語である。

ある日、ハッピー星から地球へと降り立ったタコピー。
公園の土管でおなかをすかせていると、小学4年生の少女・しずかに出会う。

しかし、視聴者から見ると、彼女の様子は最初から明らかに“おかしい”。
服は薄汚れ、ランドセルには「死ね」と落書きがされている。
誰が見ても、いじめを受けているとわかる状態だ。

実際、しずかはクラスメイトのまりなから執拗ないじめを受け、家庭では親から放置されている、ほぼネグレクト状態。唯一の味方は、飼い犬のチャッピーだけだった。

けれど、タコピーはその異常さにまったく気づかない。
給食の残り物らしきパンを分けてくれたしずかのことを、「ただ優しくてかわいい女の子」と思い込み、「お返しに、しずかちゃんを幸せにするんだ!」と、純粋な善意で動き始める。

タコピーは、「優しい」。
でも彼(彼女)は、優しさ“しか”持っていない
なぜなら、ハッピー星には「悪意」が存在しないからだ。

その純度100%の優しさは、地球という複雑な星では、時にとても残酷な刃になる。

まりなからのいじめを「ケンカ」だと認識し、「仲直りすればいいよ」「話せばきっと伝わるよ」と、笑う。
しずかが母子家庭であることを明かしても、「人間ってママ1人で子どもを産めるんだ!」と、キラキラと感動してみせる。

そのたびに微妙な表情をするしずか。でも、タコピーは気づかない。

しずかがなぜそれに苦しんでいるのか、タコピーには理解できないのだ。

そんなある日。
いつもの公園に現れたボロボロになったしずかは、チャッピーの首輪を握りしめていた。

それでもタコピーは、異変を正しく察知できない。

「まりなちゃんとけんかしたの?」

いつも通りに話しかけ、「仲直りに使える道具だっぴ」と、無垢に“仲直りリボン”という道具を手渡す。

そしていつもは道具に興味を示さないしずかが、この日だけは

「1人で、ゆっくり使ってみたい」

と、興味を示す。

初めて道具を受け入れられたタコピーはうれしくて、素直にリボンを託してしまう。

ハッピー星において、目が届かない場所で異星人にハッピー道具を使わせるのはタブーであるにもかかわらず。

その後、リボンを手渡してから一向に戻らないしずかを心配し、タコピーがしずか家に様子を見にいくと――しずかは、自宅でそのリボンを使って首を吊っていた

タコピーは、基本的に“暗い言葉”を使わない。
殴られることは「強く触る」と表現し、アザや傷は「顔に描かれた模様」だと受け取る。

けれど。

天井からぶらんぶらんとぶら下がるしずかの体を引っ張り、床に落としたとき。
その、力なくうなだれる身体を見て、タコピーは初めて動揺し、強い言葉を口にする。

「死んだ」

「しずかちゃんが死んだ」
「なんで死んだ?」
「僕のせいで死んだ?」

幸せにしようとした相手を、自分の道具で壊してしまったタコピー。
背景の写実的な描写と、ショッキングピンクの異星人の対比が、やけに痛い。

考える。どうすればよかったのか。そこで、タコピーは思い出す。
――“ハッピーカメラ”があることを。

ハッピーカメラは、撮影した日時に時間を巻き戻せる道具。

地球に来たばかりの頃、しずかを撮った写真があった。
そのときのしずかは、カメラに興味を示さなかったけれど――写真は、残っている。

だから、タコピーは決意する。

しずかちゃんをもう一度笑わせるために、時間を巻き戻そう。

学校で描かれる「いじめ」のポップさがグロい

しずかが死ぬ前――出会って間もない頃に時間を巻き戻したタコピーは、しずかを笑わせるために、そして彼女が“死んでしまった原因”を取り除くために、しずかが毎日通っている「学校」へ同行することを決める。

当然そこにあるのは、目を背けたくなるようないじめの現場だ。

ノートは捨てられ、下敷きは毎日割られる。
ランドセル置き場にはゴミが詰め込まれ、机には汚い言葉が落書きされている。
挙句の果てには、ランドセルを窓から放り投げられる始末。

「くさい」「アバズレ」「生活保護受給者」「給食費未納」

ここでもリアルなワードが飛び出し、見ているこっちの胃の調子が悪くなってくる。

だけどタコピーは、それが「いじめ」であることに気づかない。

気づかないまま、ただ「困っているしずかを助けたい」という気持ちだけで、彼は何度も時間を巻き戻し、そのつど1つ1つを“解決”していく。

宿題の答えを耳打ちし、食べられない給食を代わりに吸い込み、ゴミ箱からノートを拾って渡し、屋根の上に落ちたランドセルを運んでくる。

その“小さなハッピー”は、確かにしずかの心をほんの少しだけ軽くした。

「東」という優等生風の男の子も仲間に加わり、しずかの味方になる。

タコピーと東は、しずかのことを笑わせようと奮闘する。

しかし当然、問題の根本解決にはならない。それどころか、いじめっ子・まりなの怒りを逆なでし、状況は悪化していく。

ちなみに、これらのいじめ描写は、やけにポップなBGMとキャラクターの表情で描かれる。
タコピーの丸くてかわいいシルエットと、無邪気な動き。いじめっ子のまりなさえ、表情は軽やかだ。
それなのに、背景だけはやけにリアルで、乾いた空気が漂っている。

その演出のギャップに、観ているこちらは思わず頭痛がしてくるほどだ。

そしてなにより残酷なのは、何度やり直しても、しずかは笑わないという事実。

どんなに頑張っても、どこを変えても、最後はかならず、あのボロボロになった「あの日」へとたどり着いてしまうのだ。

途方に暮れたタコピーが、ありとあらゆる手段を使い果たして思い出すのは、自分が地球に来た「本当の目的」だった。

「毒親」がリアルすぎてグロい

さて、ここからの展開はぜひ本編で見届けていただきたいのだけれど、この作品の「グロさ」を語る上で、どうしても避けて通れないのが――“毒親”の描写である。

物語の中盤、いじめっ子であるまりなの家庭環境と、しずかとの確執。
さらに、しずかを救おうとする東のコンプレックスやその背景にある家庭問題が明らかになっていくのだが、

正直、私はその残酷な「あるある」に、心がきしんだ。

例えばしずかの母親は、ほぼネグレクト。
劇中にはほとんど登場しないが、「同伴」というセリフ、昼間に寝て夕方以降に出ていく姿。 ――夜職だと推測できる。

父親はというと、後に登場するものの、遠く離れた都会ですでに新しい家庭を築いており、ボロボロになったしずかを前に「よくわからない」と追い返す。

あの目からして、おそらく、しずかは“正規の子”ではない。
客の子か、行きずりの男か、なんとも言えないが、その結果シングルマザーとして育てるしずかの母親は、生活保護を受けていながら、しずかにまともな食事も教育も与えず、給食費すら払っていない。
立派なネグレクト家庭である。

東の母親は、いわゆる教育虐待
兄と比較し、100点以外は「ダメ」と罵倒。最終的には東そのものに興味を失ってしまう。

東は「自分はできない」「だから愛されない」という思いをこじらせ、人に病的に尽くすことで、自分の存在価値を確かめようとする。

――そしてそれを、しずかが利用しているのがまた……グロい。

ここに遺伝が出るのか?と思う。

しずかは男が喜ぶ表情も、仕草もわかっている。
そしてなにより、東のような、自分に好意を抱いている、自己肯定感の低い「男」の手懐け方を理解している。
結果、東の複雑な家庭環境はお互いを理解し合う身の上話とはならず、しずかにとって東は、ただの“道具”となっていく。

この辺りの構造が、とにかく容赦ない。

しかし、私の心が最も深くえぐられたのは、まりなの母親のリアルさだった。

家庭環境がやや近いのもあって、すでに“毒親デラックスコース”を食べたような胃もたれ状態だったところに、さらに油ぎった豚骨スープを無理やり流し込まれたような――そんな、生理的な不快感があったのかもしれない。

まりなの母親は「母親」ではなく、「女」だ。嫌な意味で、女そのもの。

不倫をして家を空け、帰ってきてもつらく当たる夫とは別れられず、娘に依存し、虐待することでそのストレスを発散する。

「お父さんは帰ってきてくれるはずだから」と話す母親。
しかし、まりなには父親からメールが届く。 「早く離婚を認めるように言ってくれ」と。完全な板挟みに、まりなは苦しむ。
そして、家庭を壊した不倫相手を憎むようになる。

――そしてその父親の不倫相手こそが、しずかの母親なのである。

この一連のつながりが明らかになったとして、まりなの壮絶ないじめが「許せる」とは言わない。
でも、「わかる」とは思ってしまう。

この家庭を、この年齢で抱え込んで、なおかつ冷静でいろと言うほうが無理だ。
小学4年生の少女が、そんなに強いわけがない。

そして、しずかがあれだけなにも言い返せなかった理由も、ここでわかってくる。
根本の原因は、すべて「大人」にあったのだ。

それにしてもまりなの母親の「毒親解像度」の高さは、群を抜いている。

染めた髪から浮き出た白髪、部屋中に散りばめられたコンブチャやタッセル教室のチラシとといったモチーフ。
得体のしれないものに救いを求め、足元がぐらついている、宗教やマルチにハマった母親の醸し出すあの空気。

機嫌がいいと甲高い声でまりなを褒めちぎり、気に入らないことがあると無言で沈み、怒鳴る。そして男によって起こる感情の起伏のすべてを、子どもに処理させるのだ。

おそらく、この作品を観た人が「どこにグロさを感じるか」は人それぞれだと思う。
血が出るシーンかもしれないし、死の描写かもしれない。

でも、私にとっては断トツで――まりなの母親だった。

あの目。
あの声。
あの言葉。

私は、全部を知っている

これを描いた人間がサンプルと接していないと描けないキャラクターだと思った。

考察:みんなが誰かの「タコピー」。

この物語を考察するにあたって、どんな結末を持ってくればいいか、かなり悩んだ。
最終話を見終わってもまだ悩んでいたし、実際、特に「タコピー」という存在から何をどう受け取るかは人によって違いそうだなと感じている。

私の中でこの物語を見終わってなによりも感じたのは、自分の「つらい記憶」との近さだ。
非常にありえない設定にもかかわらず、この物語の全体像は自分の「あの頃」の記憶の色と非常に似ているのである。

アニメのポップさが、「つらい気持ち」の記憶の曖昧さとリンクする

私は作家という仕事柄、過去の話を掘り返したいタイミングがある。
ここで詳しくは書かないが、それなりに壮絶な経験をしてきたつもりだ。

――なのに、最近、その過去の記憶を引っ張り出すのがどんどん難しくなってきている。
なぜかというと、その記憶のほとんどが断片的かつ愉快なものとしてしか残っていないから、である。

もちろん、当時の私が常にODをかましていて、アモバンやデパスを1シート単位でバキバキ噛み砕いていたから、というのもある。

でもそれ以上に、たぶん――あのときの記憶を、当時の感情ひっくるめて“そのまま”思い出せてしまったら、脳みそごと割れて吹き飛ぶのだと思う。

それを防ぐためなのか、記憶はどれもラメ入り、あるいは馬鹿みたいにパステルカラーに変換されて保存されている。

例えば、やむなく体を売っていた頃。
薬中の客にレイプまがいなことをされて、尻の穴を舐めさせられたことがある。
クソ客に「体を売って申し訳ありません」と土下座させられ、その後ヤられたこともある。

――おかしいのだけど、それがなんにもつらくない記憶として、そこにある。
そして私は、クスクス笑ってそれを語れてしまう。

それくらいに、記憶がキラキラふわふわラメ入りになっているのだ。

当時は確かにつらかったし、いろいろとボロボロで、首に縄までかけたのに。

ひどかった頃の母親のことも、仕事のことも、自殺未遂も、もう全部。
なんなら「楽しかったね」くらいの色彩をしていて、ケラケラっと話せちゃう。
「あの頃も良かったわね」なんて、エモさまで感じてしまう。

――それが怖い。

んなわけねえだろ、って話なのだ。

でも『タコピーの原罪』を見ていると、グロテスクバージョンのあの頃の“正しい記憶”を、第三者視点で突きつけられてる感じがして、同時に、どこかのタイミングでラメ加工されてしまった自分の記憶の、不自然な陽気さまでもが、そのままアニメ化されてるような気がして、なんだかすごくリアルにリンクしたのだった。

よくある“社会派”映画は、つらそうな過去をとにかく黒く、重く、湿っぽく描きがちだ。
だけど私にとっては、ああいうもののほうがよっぽど“作り物”に見える。
上っ面で、他人事で、よくできたコンテンツで終わってしまう。

絶望、悶える表情、涙にドラマチックな悲劇。

バカ言うな。現実は、もっと淡々としている。

一方「タコピーの原罪」はどうだ。

人の心が無いのかというほど全場面すみずみまでジリジリと傷に塩を塗りつけてくる徹底したリアルさの中に、ポップさを混ぜて脳みそをガシャガシャ振って混乱させてくる。

まさにリアルだ。かなり体調を崩したけど、あれを、あの構図で描けるの、天才だと思う。

きっと、似たような記憶を持つ人は、同じように、ぐわんぐわんと心を持っていかれたんじゃないだろうか。

タコピーは、「自分の知る「不幸」を知らない世界で生きてきた赤の他人」の擬人化

実は、「タコピー」という存在にも、私は既視感があった。

タコピーは、「優しい」。
でも彼(彼女)は、優しさ“しか”持っていない。
なぜなら、ハッピー星には「悪意」が存在しないからだ。
その純度100%の優しさは、地球という複雑な星では、時にとても残酷な刃になる。
まりなからのいじめを「ケンカ」だと認識し、「仲直りすればいいよ」「話せばきっと伝わるよ」と笑う。
しずかが母子家庭であることを明かしても、「人間ってママ1人で子どもを産めるんだ!」と、キラキラと感動してみせる。

――そう、悪意はない
ないからこそ、こちらの心の深い場所にあるものを知らず、理解しようとせず、自分の中にある“ピュアな優しさ”だけを、まっすぐに押し付けてくる。

彼らの世界には、私たちが知っているような「絶望」は存在しない。
だから本気で「どうにかなるよ」と思っていて、それを罪悪感なく伝えてくるのだ。

――知ってる。この“異星人”、私は会ったことがある。

「親は絶対に子どもを愛してるから」
「人はみんな優しいから」
「話せばきっと、わかり合えるから」

――そうだよな、お前らの世界ではな。

おそらく、私と似たような過去を持つ人たちは、みんな「タコピー」に出会ったことがあるはずだ。
タコピーは異星人。でもそれは、ファンタジーの中の異星人なんかじゃない。

「自分の知る“不幸”のない世界で生きてきた赤の他人」

それこそが、タコピーなのだ。

人間は基本的に、自分の“半径1メートル以内”の物事でしか世界を理解できない。
自分の周囲にあるものは「ある」し、ないものは「ない」。

子どもを愛さない親に出会ったことがなければ、「そんな親は存在しない」。
逆に、誰かに愛されたことがあれば、「人は誰かを愛せる」と信じることができる。

無論、隣の惑星では、それがちっとも常識ではない場合もある。

だけどそれが、彼女たちにはわからない。

――悪いことじゃない。でも、彼女たちの持つ“無知でピュアな優しさ”は、ときに鋭い攻撃になり、誰かの心を深く傷つけるのだ。

そして、忘れてはいけないのは、私たちもまた、誰かにとっての「タコピー」かもしれないということだ。

人は、他人の痛みを完全に理解することができない。
どれだけ似たような経験をしていようと、全く同じ感情を知ることはできない。

何度もいうがそこに悪意がなくても、純度100%の優しさは、ときに刃になる。

だからこそ、私たちはそれを自覚して生きていかなければならない

その点で、タコピーが最後に出した結論、「わからない」 という言葉は、実はものすごく誠実な優しさだったのだと思う。

「僕は、しずかちゃんの気持ちがわからない。だけど、そばにいる。」

それはきっと、いちばんまっすぐで、唯一届く優しさだ。

人はそれぞれ、過去を持っている。
その過去は、完全には理解されないし、されてたまるか、という思いもある。

だけど――わからないからこそ、そばにいる
わからないからこそ、守りたい。

その言葉だけは、受け入れられる。

それがきっと、「お互いの過去を受け入れつつ、誰かと一緒に生きる」ということなのだと思う。

受け入れるとは、「わかる」ことではないのだ。

まとめ:不幸は、自分が自分で「受け入れる」以外に解決方法はない

『タコピーの原罪』、恐ろしいアニメである。
でも私は、このアニメの中に、希望も感じている。

このアニメの結末は、「タコピーが消える」ことで、変わらない日常が続き、だけど変わらない日常の先に、少しだけ希望があった、というものだ。

劇的なハッピーエンドではない。 いじめはすぐには収まらないし、なに1つ家庭環境は変わらない。
それでも、彼女たちはその現実を自分の手で引き受けて、生きていった。
そしてその先に、ほんの少しの希望があった。

もしこの最終話が、タコピーの存在によって劇的なハッピーエンドを迎えていたなら、私は、ここまでこの物語に共感しなかったと思う。

それは私の考えとして、「自分の不幸は人に救うことはできない」と考えているからだ。
人に救われることがハッピーエンドだなんて、そんなグロテスクなことはないと思っている。
だから、このアニメがその結末でなかったことに、私は心底救われた。

それでいて、タコピーの「ピュアな優しさ」だけが、彼女たちの心に残っているのもリアルだった。
彼女たちは、タコピーの存在は忘れてしまう。直接深く人生に影響することはない。

だけど、「悪くないかも」と思わせてくれた瞬間は、確かに彼女たちの心に根付いた。
意味がないわけじゃない、それもまた、救いだ。

不幸の理由を他人にしてしまったら、人生は終わってしまう。
そして、幸せを他人に構築してもらおうとしても、やっぱり人生は終わる。
それは誰かに傷つけられた人からしたらつらい現実ではあるが、真実だ。

私は痛いほどに理解している。自分に付いた傷は、自分にしか癒せないこと。
自分で舵を取らないと、いつか船は沈んでしまうということ。

自分で舵を取る。他人からの優しさを少しずつ吸収しながら、進んでいく。
自分で舵を取ることで初めて、人生は“自分のもの”になるのだ。

タコピーの原罪は、そんなことを教えてくれるアニメだったのかもしれない。


さて、最後に少しだけ、宣伝を挟ませてほしい。
この記事を書いている私は、今、ひょんなことから結婚相談所「ナレソメ予備校」で働いている。
 複雑な家庭環境を経て、風俗嬢になり、反出生主義を通過し、作家になって――紆余曲折を経た人生の末に、どうして「結婚相談所」にたどり着いたのか。

それはきっと、 “幸せをその手でつかもうとする瞬間”に立ち会いたいと思ったから。
人は誰しも、なにかを乗り越えた「今」を生きている。
その“乗り越えたもの”が多ければ多いほど、壁が高ければ高いほど、いざ「幸せになろう」としたときの反動はでかい。
自分が幸せになっていいのかわからず、立ち止まってしまうこともある。

だからこそ、そんなあなたに来てほしい。
ナレソメ予備校には、「自己理解プロジェクト」と呼ばれるカリキュラムがある。
婚活の前に、まずは自分自身の過去をちゃんと振り返って、自分を知る

そのプロセスがあるからこそ、
 「わからないけど、それでもそばにいたい」と思える最愛のパートナーに、ちゃんと出会える。

まずは、無料相談で婚活戦闘力診断を。幸せになるための地図を、私たちと一緒に描こう。

P.S.
 私はナレソメ予備校内で「yuzukaゼミ」というゼミもやっている。
そこには、過去にいろいろあった人たちが集まってきてくれていて、婚活の話だけじゃなく、自分の輪郭を描き直すような時間を過ごしている。
誰かに話すことで、自分の人生をやっと“自分のもの”として引き取れることがある。
ゼミの中に、あなただけの救いの糸口があるかもしれない。

もし、そうだったらうれしい。

yuzuka

yuzuka
執筆者 yuzuka
ナレソメ予備校の学年主任で、ナレソメノート編集長。元精神科の看護師で夜職の経験もあり。普段はエッセイストや脚本家として活動している。著書「埋
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